スポーツの指導ということ

ある土曜の夕方、電車で移動中、とある駅でスポーツウェアに身を包んだ大柄な男性が三名乗り込んできた。これから飲み会なのだろうか楽しげである。耳に飛び込んでくる会話から関係がわかってきた。少年野球のコーチのようだ。今日は誰が来るんだろうかと男三人でも姦しい。

そのうち、一人の選手の話になった。今日は試合に出ていなかったようだがどうしたという問いかけに、一人が応えたところによると体調不良が理由だという。実は先週の試合、その選手は走塁でゆっくり走ってチャンスを潰してしまった。そして今日は名誉挽回とばかりにライトオーバーのヒットを打った。さすがにランニングホームランにはならないとおもっていたが、三塁コーチの制止を振り切ってホームに突入して結果はアウト。2週連続の走塁ミスで、そこにはいない別のコーチに叱られたのだ。じつは三塁コーチの制止も動作が小さくて、曖昧なコーチングだったのだが、叱られたのは選手一人だった。このあたりになると耳ダンボである。

そのコーチは彼には期待している。いいもの持っている。だから、いまやるべき基本動作にしっかりと取り組まないといけない。将来のことを思うと、いま対応しないと癖。彼の為なのだから、厳しく指導する方針を曲げるつもりはないと宣言したという。

そんなこんなの今日。選手は右足の甲が痛いので、練習に参加できない言ったという。本当に痛いのかどうかはわからないのだけど、まあいろいろあるからね…とすこしだけ話を続けたあと、今日の飲み会に話を変えていった。

思わず聞いてしまった話から、いろいろな感情がわいた。たった数分の会話であり、すべてを網羅しているわけではないし、また後日談もあるだろうけれど、昨今のスポーツ界で、いろいろと問題が起こっている理由の一つは、こういった教える側の論理が影響しているのだろうかと考えさせられた。

感じたのはコーチ同士がいいたいことを言えないチームで野球はしたくないなということ。選手が来週から練習に参加してもしなくても、一連の行動をコーチは良いことだと確信したままで、今後も同じような行動をする可能性が高い。そのことを周囲がまずいと感じているのに、そのままにすることがあたりまえのチームは果たしてどうなのだろうか。

またコーチが上目線であることも気になるところだ。教える側が専門性で圧倒的に優位だったとしても、立場が上であるわけではないことを理解していないのではないだろうか。たった一言で取り組みをしなくなってしまうこともあるだろう。たとえ相手のためだと思っていたとしても、逆らえない相手に一方的に厳しく接するのはパワハラだ。

それにしても、教えるとはなかなか難しいものです。