ワークライフバランス

仕事と人生を楽しむというのは、ある意味理想とするところだ。
ただし、双方を楽しむとなると、非常に悩ましい。
働いて結果を出そうと思えば、時間を割かなければならない。いくら効率的に取り組んだとしても限界はある。

趣味や娯楽や旅行などを通じて人生を楽しむとなると、仕事に割ける時間が少なくなる。いわば二律背反の極みだ。

時間が有効な資源だとすると、どちらも大切にしようとなると、細切れ時間を使うか、睡眠時間を削るしかない。それも限界はある。

ひとつの解決策は、仕事の一部を余暇と考えることだ。そうなると両方楽しめることとなる。
もう一つは、人生の楽しみを趣味や娯楽や旅行などと考えないことだろう。それも仕事を人生の一部と考えることで成立する。

仕事が人からの強制であると考えれば、つらく逃げたくなる。仕事で人生を語ることが出来れば解消する。
仕事場と生活の場を一体化する。たとえば子育てが仕事場でも行えることが一つの解決策なのだろう。

そう考えると、現在の働き方は非常におかしなものと考えなければならない。切り分けることでの弊害があるのだ。
わざわざ職場に出かけて仕事することに問題がある。
われわれが一般的だと考えている働き方は、生産効率を高めるものだ。とくに製造現場などでの設備を使用した仕事の仕方を普通と考えているからだ。

少なくともオフィスワーカーは働き方を変えないといけないのだ。

リビングからパソコンが消える

先日のブログで家庭からテレビが消えると書いたが、もっと顕著な電化製品はパソコンだろう。タブレットのようなものでないと家庭には向かない。

大きな画面で見たいならChromecastなんかでテレビ画面に飛ばしたほうが見応えがある。パソコンは立ち上がりも遅いので、知りたい情報がすぐには見られない。不便きわまりない。そもそも家庭には、とくにデスクトップパソコンを置くスペースが想定されていなかった。お荷物きわまりなかったのだ。新聞などもネットに移っているのでタブレットが重宝だ。

家庭で仕事しようとするノマドワーカーでない限り、パソコン需要はなくなっている、ということを実感している。

テレビスターの悲劇

2017年にもネット広告への出稿がテレビ広告を抜くという記事があった。

その記事を読んで、いろいろ考えさせられる。

個人の嗜好に適した広告が表示されるというのは効果性が高いだろう。より広告費が伸びていくのだろうと思われる。

それはそれとして、そして、家電業界で大きな比重を占めていたテレビが終わるということを感じる。テレビがずっと家の真ん中にいた時代が終わりを告げようとしているのだ。居住スペース~インテリアが変わるのだ。テレビ台がなくなる。サザエさんによく登場した電話台が家庭では不要になったのと同じことだろう。

そういえばラジオはいつの間にか、終わったメディアになってしまっていた。AMにしてもFMにしても通販番組となってしまっている。テレビもその傾向が強い。

新聞にしてもテレビにしても広告とは切って切れなくて、効率的に効果的に知らせるための仕組みなので、モバイル化して個人に向けたネット広告には負けてしまうだろう。マスではない個人の嗜好にあわせたものには勝てない。

ラジオスターがテレビに殺されたように、ネットがテレビスターを殺すのだろう。