私の履歴書 高田明氏

なんどかブログで取り上げたが、日経新聞朝刊に掲載の「私の履歴書」は、楽しみの一つだ。経営者や各界の著名人の生き方を一つの角度から理解することが出来る。毎月年に12名だが、読者になっておよそ30年以上だから少なくとも300名以上の歴史を読ませていただいたことになる。

平成30年4月に登場しているのは、ジャパネット創業者の高田明氏だが、他の方とは変わっている。22回目あと8回を残して、もはや会社から引退した。これは異質なことだ。

私の履歴書に登場する経営者の方の多くは、最後の最後まで話を引っ張って、最終回に仕事が一区切りついて、財界活動をして、家族にお礼を言うというのが一つの形である。感謝をしつつも、驕慢さがうっすら透けて見える。自分で無ければという気持ちからなのか晩節を汚す例もある。

老子にある「功成り名遂げて身退くは天の道なり」ということを体現するのは難しくて、身を退けないのも一つなのだ。信頼できる人に委ねて、それが出来るのはなんと幸せであろう。あと8回の展開が楽しみだ。

エープリールフール・ネタかな

4月1日、宝くじが当たったとかというたぐいの嘘をつくと、一年間そのことが叶わないジンクスがあるとか。願望を込めた嘘をついてはいけないということなのでしょう。

そうであるなら逆手にとって、ぜんぜん出来ていないなんて事をいえばよいのでしょうか。マイナスのことはできれば口にしたくないのですが、時には頭が混乱するくらいのことをつぶやくのもよいのかもしれません。

はなしは変わりますが、友人の一人から4月1日の0時を過ぎた頃に、この度昇進しましたというメールが入りました。すこし苦労をしていたと聞いていただけに、我が事のようにうれしく思いました。

確認したところ嘘ではなかったのですが、一瞬疑ってしまいました。人に伝えるにはタイミングが必要を感じた一日でもありました。

ところで、世界の景気悪くなって、働き方改革も進まないそうですよ。

これは、エープリールフールネタか、それとも本当に考えている内容か、どちらでしょうね?

ワークライフバランス

仕事と人生を楽しむというのは、ある意味理想とするところだ。
ただし、双方を楽しむとなると、非常に悩ましい。
働いて結果を出そうと思えば、時間を割かなければならない。いくら効率的に取り組んだとしても限界はある。

趣味や娯楽や旅行などを通じて人生を楽しむとなると、仕事に割ける時間が少なくなる。いわば二律背反の極みだ。

時間が有効な資源だとすると、どちらも大切にしようとなると、細切れ時間を使うか、睡眠時間を削るしかない。それも限界はある。

ひとつの解決策は、仕事の一部を余暇と考えることだ。そうなると両方楽しめることとなる。
もう一つは、人生の楽しみを趣味や娯楽や旅行などと考えないことだろう。それも仕事を人生の一部と考えることで成立する。

仕事が人からの強制であると考えれば、つらく逃げたくなる。仕事で人生を語ることが出来れば解消する。
仕事場と生活の場を一体化する。たとえば子育てが仕事場でも行えることが一つの解決策なのだろう。

そう考えると、現在の働き方は非常におかしなものと考えなければならない。切り分けることでの弊害があるのだ。
わざわざ職場に出かけて仕事することに問題がある。
われわれが一般的だと考えている働き方は、生産効率を高めるものだ。とくに製造現場などでの設備を使用した仕事の仕方を普通と考えているからだ。

少なくともオフィスワーカーは働き方を変えないといけないのだ。

リビングからパソコンが消える

先日のブログで家庭からテレビが消えると書いたが、もっと顕著な電化製品はパソコンだろう。タブレットのようなものでないと家庭には向かない。

大きな画面で見たいならChromecastなんかでテレビ画面に飛ばしたほうが見応えがある。パソコンは立ち上がりも遅いので、知りたい情報がすぐには見られない。不便きわまりない。そもそも家庭には、とくにデスクトップパソコンを置くスペースが想定されていなかった。お荷物きわまりなかったのだ。新聞などもネットに移っているのでタブレットが重宝だ。

家庭で仕事しようとするノマドワーカーでない限り、パソコン需要はなくなっている、ということを実感している。

テレビスターの悲劇

2017年にもネット広告への出稿がテレビ広告を抜くという記事があった。

その記事を読んで、いろいろ考えさせられる。

個人の嗜好に適した広告が表示されるというのは効果性が高いだろう。より広告費が伸びていくのだろうと思われる。

それはそれとして、そして、家電業界で大きな比重を占めていたテレビが終わるということを感じる。テレビがずっと家の真ん中にいた時代が終わりを告げようとしているのだ。居住スペース~インテリアが変わるのだ。テレビ台がなくなる。サザエさんによく登場した電話台が家庭では不要になったのと同じことだろう。

そういえばラジオはいつの間にか、終わったメディアになってしまっていた。AMにしてもFMにしても通販番組となってしまっている。テレビもその傾向が強い。

新聞にしてもテレビにしても広告とは切って切れなくて、効率的に効果的に知らせるための仕組みなので、モバイル化して個人に向けたネット広告には負けてしまうだろう。マスではない個人の嗜好にあわせたものには勝てない。

ラジオスターがテレビに殺されたように、ネットがテレビスターを殺すのだろう。