自発的な取り組み

なぜ自分で主体的に取り組めないのかというと、端的に言うと主体的に取り組むと叱られるからだ。

主体的という言葉は組織にはなじみにくい。組織とは決まったことに取り組むのに適した集合体である。個人に勝手な行動をとられると組織に、迷惑であったり非効率であるから時には懲罰対象にもなる。コンプライアンス面から就業規則や行動細則でやってはいけない行為として明文化することも多い。平たく言うと、勝手なことをするなと書いてあるし、罰則を食らう。まじめな人ほど、それを真に受ける。よほどの変わった人でない限り、組織がするなということに従う。変人が求められるところだ。ただ、変な人は組織には交わることができない。採用時点ではねられるのだ。

組織の中では1メンバーにしか過ぎない個人が向かっていくべきだと考える方向が、組織の考える方向と異なる場合には、組織は全力をあげて個人を矯正しようとする。個人を遊ばせておくゆとりがないし、経験の考えと異なるものを自由にさせるほどの柔軟な考えはあまりみかけない。

組織とは決めたことに従う個人を優遇するし、決めたとおりのような人材像になって欲しいと考える。ただ組織の決め事が全て正しいわけではない組織としてするべきではないと考えていたことに、実は組織の停滞している現状を打ち破る鍵が隠されていることもある。個人が自分の思っていること、やるべきと考えたことに取り組むことができるのは、それほど簡単ではない。

目をつぶるから、やりたいことをやれというのが、実際には重要なのだ。それだけの度量と勇気を持つ組織が勝ち残ることができる。そのためには、金と人員のゆとりが必要だから、結局のところでいえば、収益性が高く、将来のために投資している組織が個人を活かせるし、結果を生み出すことができることになる。鶏が先か卵が先かの議論に戻る。両方大事なのだ。