先の見通し

たとえ新型コロナウイルスが世の中に拡がっていなくても、熱暑でなくても、やるべきことは変わらない。多少の回り道になるかもしれないが、自分のやるべきことに向かう必要がある。

いまそして将来の社会に役立つための道筋を描くことが重要なのだ。

その見通しが曖昧であるから、不安になって逃避行動を選択する結果となる。芯の部分を確立して迷いなく行動することこそが求められる。

そこにいるだけで

なにかを考えていると頭の回転が高まり、思考の質が上がる瞬間がある。頭の中が整理されていくこともあるだろうし、自分の思いはこういうことだという、繋がりが生まれるからなのかもしれない。

話をしていると、自分の考えはそういうことなのだということを思い起こさせてくれたり、形を気づいてくれる人たちもいる。

気持ちの良い会話のキャッチボールができる。話しかけた内容がより高いレベルでかえってくる。人と関わっていることの一番の楽しいときである。閉ざされ自己完結ではないつながりの妙。

そこにいるだけで、力が引き出されてしまう組織を作りたいと考えて、いまの仕事に就いた。引き出されてという言葉には誤解が生まれるかもしれない。強制ではなく、あるいは押しつけではなくというところが重要だと思う。

そこにいると、チームや世の中にも貢献できるという思いを抱かせる組織やつながり。それは一番の喜びではないだろうか。

組織の所属するということではなく、組織と関わるということでもある。また組織も個人を所属下に置くだけではない。固い組織ではなく、柔軟かつ機動的で、壁がない。コロナ禍をこえて、そんな組織がますます求められていくのではないだろうか。

組織は機敏でなくては

規模を追求する風潮がまだ見られる。極言すれば規模さえ大きければー規模拡大が実現できれば勝利できるという考えだ。この時代であるので、データを集められるだけ集めることが出来れば勝利できるということにも同様の考えは通じる。

この一見正しそうな見立ては、実はものすごく妖しい思考だ。そもそも全てのありとあらゆる情報を手に入れられるはずはないし、手に入れるだけの手間と時間という費用対得られる成果は比例はしない。たしかに一データ単位あたりの入手コストは減少するかもしれないが、得られる価値とは必ずしも比例しない。すこし横道にそれた。ひとは何らかの安心感を得て、ようやく打って出ることが出来る。攻めるにはまず守りを固めてからということだろう。

巨大さを目にして、多くのものはひれ伏す。しかしその巨大さ故に、守らねばならない箇所であり致命傷となりかねない腱は増加する。責めるものが目利きできるならば、相手がノーガードであることに笑いが止まらないだろう。

組織には目的があり、その実現に向けて資源を利活用する。しかしその効率性には限界がある。その際足るものが組織階層という壁であり、業績管理単位という壁であり、地域や情報伝達の時間という壁である。ネットワークコミュニケーションということで、対応しようとすれば人と組織の数だけ、情報伝達のスピードは遅くなり、機動性が失われる。

組織は機敏に動き回らねばならない。小さいに限るのだ。巨大組織で会っても、小さく機敏な疑似組織を内在している例も見られる。巨大さへの対応手段として取り組む生物的勘なのかもしれない。

また小さな組織単位では、見える世界が限定される。そこで小さな組織であればあるほど、自己組織の持続を目的にするような行動だけではなく、目線をあげた先を見通した行動が求められる。

ニューノーマルから今後を考える

世の中のあり方・展開がころっと変わった。しかもまだ世界中でコロナウイルスが終焉というわけではないので、あたらしい取り組みが必須となっている。

我が事では公開集合研修やセミナーなど人前で話をしたり指導するという、直接コミュニケーション面を重視していたもののあり方に工夫が必要となっている。人の知識を伝達するための方法に大いに工夫が必要ということだ。

コロナウイルスを基点とする在宅勤務の奨励から、オンラインセミナーや講演が多く行われるようになっている。従来ならば出かけて参加しないと、得られなかった体験がどこででも可能になっている。過渡期であることもあるのか無料のものも多い。学会などもオンラインで実施されるものが増えている。各種の学会は、地方で開催されることが多く、なかなか参加できないことが多かった。誠にありがたい話だ。知恵や知識に対する敷居が低くなっている。

従来のアナログの時代には考えられなかった仕組みである。まさにフリーの時代の到来である。またあたらしい動きが芽生えているということは、従来の強みが減少するということでもある。レコードからCDに、そしてインターネットに移っていった音楽の流れと同じものが感じる。

経営情報の流れが変わりつつあるのだ。従来の枠組みは活かしつつも、新しい仕組みに転換する必要がある。いままでのあり方からどのように転換できるかを模索する、実験する勇気のあるものが、次の時代を率先するのだろう。

人材採用を通じて社会と繋がる

発達段階理論で著名なエリクソンは、「家族全員が赤ん坊を統制し、育てると言われるが、逆に赤ん坊が家族全員を統制し、育てるという言い方もまた正しい。家族というものは、赤ん坊に育てられることによってのみ、赤ん坊を育てることができる」と表現している。

この概念を人材育成に適用すると、「組織構成員が外部経験者・新入社員を統制し育てると言われるが、逆に外部経験者・新入社員が組織全員を統制し育てるという言い方も正しい。組織というものは、外部経験者・新入社員に育てられることによってのみ新入社員を育てることができる」、と言い換えできるのではないか。ただ、この考えが適切かどうかは、エビデンスがないため、あくまで思いつきに過ぎないのだが。

 

さて、この考え方に問題がないことを前提に、もうひとひねりして、「組織全員が外部経験者・新入社員と関係性を持つことで、外部との繋がりを持ち、対応するようになる」、ととらえることは出来ないだろうか。外部でなにが起こっているのかということを認識し、対応する手段として~出島のような存在が~経験者・新卒採用にならないか。そこには、本人の力や経験だけではなく~もちろん経験の裏側にある~人的ネットワークの組織への取り込みをねらいとした行為である。裏返せば外部とのネットワークを持たない組織は、外部対応する必要がなく、内向き志向にならざるを得ない。外部変化に対応する組織であるならば、つねによいネットワークと結びついておく必要がある。継続・永続する企業は、外部との関わりを保有・取得し、ネットワークを拡げていると考えられるのではないか。業務拡大に伴い、人・地域拡大を図る組織は多いが、副次的な効果として人的ネットワークの獲得に繋がっていることで、業容拡大していく面もある。

緊急事態宣言への対応から考える

緊急事態宣言が解除され、公立学校の授業が再開されるなど、ウイズコロナという状態が始まりました。ほぼ3ヵ月間の自粛生活で仕事のしかたや人との関わり方が大きく変わりました。そして6月1日から新たなステージです。

この3ヶ月をふり返ると、よくもまあ従来の習慣を捨てて取り組んだことだと思います。卒業・入学・入社、移動や異動。送別や歓迎。お花見やGW。観劇やスポーツ。すべてをやめて乗り切ってきました。いままでの常識を捨てて、対抗しようと首をすくめて、問題を乗り切ったわけです。考えてみれば、このような状態は普通ではありません。頭で考えれた計画であれば、実効性の困難さにはじめから取り組むはずがありません。

そう人は変化に対応することが出来るもの。あらたな考えや様式には慣れます。しかしはじめの変化には抵抗を示します。そのときに元の状態を維持しようとするか、抗えないものとして受け入れるか。受け入れるにしても、改善を付け加えて今までを維持しようとするか受け入れるか。コロナウイルスへの対応で、我々はとんでもない問題に対応しようとしています。考えれば、従来の仕事のしかたが一番効率的なことはわかっています。そのための仕組みを創り上げてきたわけです。否定したり、新しいものを取り入れれば、失敗や困難がついて回ります。

われわれは経営の状態が変化することは、理解しています。しかし変化には対応することは、心と体が着いていきません。話を飛躍させると、全てのものが変化に着いてくるはずがありません。そこで全てを変えるのか、変えないといけないところに焦点を当てて変えるべきところを変えるのか。

それは取捨選択という言い方でも良いだろうし、切り捨てという見方も必要かもしれません。全ての人を満足させることはできません。時には理不尽さもも求められます。経営者や組織の長は、そこを理解しなければなりません。

好機到来

まことに稀有な状況です。コロナウイルスの対策で緊急事態が宣言されました。多くの関係者・自身のために不要不急の移動を自粛することが必要です。

とくにビジネス面だけに限定しますが、従来の仕事のしかたや関係性維持のあり方に窮屈さが生じます。しかし「不都合」はビジネスにとって新しいものを生み出す絶好の機会です。

中期的な面で見ると、今回のテレワーク実践機会と来年に移動が決まったオリンピック・パラリンピックは、ワークフローの見直しだけではなく、ビジネスプロセスの見直しにも大きな変化をもたらします。

従来の常識を打ち破る絶好の機会が到来しているのです。次に備えて何をするかということが求められています。

新年度スタート

令和2年のスタートです。本来ならば桜の花が咲いて、新社会人たちを迎える華々しい日ですが、新型コロナウイルスの影響もあり、何だかスッキリしない年度始めとなりました。それでも社会は動きます。また新しい流れが生まれます。

目の前のことにしっかり取り組んで、日々感謝しながら進んでいきましょう。

新年度よろしくおねがいします。

新型コロナウイルスを奇貨とできるか

先日読んだ新聞記事は、日本企業のリスク開示姿勢の甘さを指摘していた。経営活動のグローバル化が進みバリューチェーンが国際化する中で、さまざまリスクが高まっているのに、非財務視点の情報記述の広がりが見られないという内容だ。記述がなされていないということは、想定すらしていないということで、起こるはずがないと高をくくっているということになる。課題としてとらえていないと、万が一の状況に対応出来るはずがない。

慌てふためくと、人はとんでもない行動を取ることがある。準備しておくことだけが、突然のアクシデントやトラブルに対応出来る策である。新型コロナウイルスは突然出来事ではあるが、パンデミックを想定していたかで対応は変わったはず。

さて従来作成していた事業継続計画書の検証をすすめなければならない。また近い将来発生するといわれている東南海大地震対策に対応するためにも、今回の状況を奇貨として受け止めるべきである。

一人だけでは生きていけない

ひとは一人だけでは生きていけない。もしも地球上にたった一人だけ取り残されたならば、想像するだにそれはそれは辛いことだろう。いやいや、そんなことを書くつもりではなかった。仕事の話だ。

仕事が自己完結しているように思えても、多くの方と関わりあって仕事を進めている。仕事のほとんどは調整と考えてもよいほどだ。ものを作るにしても、サービスを生み出すにしても、自分だけの範疇で出来ることはごくわずかであり、しれている。そもそも組織は自分の専門性を活かすという分業をすすめるところから成り立っている。自分の特長を活かすことは、他者との共同作業でもある。得意なことに専念するためには、他者に自分の苦手を補って貰わないといけないからだ。他者との関わりこそ、仕事の重要部分だ。

そうそう、もう一点述べたかったことがある。ひとは自分一人で成長したつもりになっているが、そんなわけはない。自分で伸びたと思っても、実は周囲の人が働きやすいように防御してくれたり、支えてくれていたということもある。他者から得た恩は、帳尻を付けないといけない。まわりの人に働きやすい環境を整えることが大切だ。しかもそれは自分の出来ることですすめれば良いのだ。